がっつこぽるたっかの人生

あなたの、わたしの人生を100%現実化していくproject

俺たちにもできる!!好きこそものの上手なれの本当の意味

毎日毎日快便で困っちゃう♪♪

 

便秘気味の奥さんに横目で睨まれている

guts koporu takkaです

 

 

 

俺たちにもできた体験

 

ではタイトルに沿ってお話を進めてみましょうか

 

〝俺たちにもできる〟

 

という部分ですが、

まずは個人的に印象的だった〝俺たちにもできる〟体験から

 

 

僕は学生時代、特に好んでrock musicを聴いていました

音のfeelingに惹かれたのももちろんですが、

アーティストたちの生き方や背景に惹かれた部分も大きいですね

 

なので、ギターマガジンとかの楽器系の雑誌より、

ロッキンオンとかクロスビートとかを好んで読んでいました

 

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はい、こういう感じですね

 

 

熱心にインタビューとかも読んでいました

ときには自分を重ねながら

ときには憧れを抱きながら

 

 

しかし、後者の〝憧れ〟の部分がちょっとクセ者

特に20代前半なんて、

高校生くらいから引きずっていた

 

よくわからない無敵感

 

がだんだんと薄れてきて、逆に自分は何ものでもない感が勝ってくる感じのタイミングです

憧れゆえに誌面のなかの(自分にとっての)ヒーロー達を、

どんどん自分から切り離してしまう

雲の上へと追いやってしまうんですね

 

 

大学を出てなんとなくトントン拍子で受かった会社に就職し、

人生終わっちまう感が凄かった俺は、

(ものすごい勘違いなんだけどw)

 

自分は本当はどうしたいのか、ふらふらになりながら考えました

考えざるをえなかったのです

 

だって毎日が、びっくりするくらい楽しくないものになってしまったから

 

 

詳しい経緯はここでは割愛しますが、学生時代からの親友に

「一緒に音楽をやろう」

 

と声をかけました

そいつも気持ちは同じだったようですが、お互いに煮え切らないまま時間が経っていきました

 

そんなある日

 

そいつが自分でコンピュータを使って創った音源を持ってきたんですね

聴いてみてほしいと

 

僕は相変わらず曲を自作したりはしていませんでしたし、

活動と言ってもたいしたことはしていませんでしたが、

 

rock musicの枠はとっくに飛び出して、

古今東西盆踊りから効果音、果ては音を切り貼りしたコラージュ音楽まで

 

とにかくいろんな音を聴いて浴びていた時期だったので、

耳にだけは自信がありました

 

なので正直そいつが持ってきた音に期待はしていませんでした

期待はしていなかったけども、その行為が嬉しかった、

という感じでした

 

 

ところが‥

聴いてド胆を抜かれました

それはある意味予想通り荒削りな、そのままどうにかなるような感じではないバンドサウンドでしたが、

いちばん必要なものがガンガンに封じ込まれていた

 

rockだろうがsoulだろうがhip hopだろうが関係ない、

いちばん大事な〝魂〟がそこには溢れていました

 

その瞬間、比喩ではなくリアルに、

 

バリーン!!!

 

という音がして、僕のなかの大きな壁が崩れていったのです

 

誌面のなかの、雲の上のヒーローたちが、地上に降りてきた

できる、俺たちにもできる!

 

その後はいろいろあり過ぎて、

(前回のエントリとかを読んでもらえれば察していただけるかと思いますが‥w)

 

そのへんの直接的な進展はありませんが、

〝俺たちにもできる〟の僕にとっての原体験はそんなところです

 

 

 

 

なぜ俺たちにもできるのか

 

こういう体験はそれ以来カタチを変えて何度も起こりましたが、

 

この奥にある原理を知っていればもっと楽です

 

 

 

そもそも、壁を感じる必要などまったくないのです

 

 

壁を感じている状態のことを

 

分離意識が働いている状態

 

とあらわすことができますが、

これは生まれたばかりの赤ん坊にはありません

 

うちにはいまちょうど生後4ヶ月のbabyがおりますが、

彼女にはまだ自我と呼べるほどのものはありません

 

世界と彼女を隔てるものは特になく、

時間の概念さえありません

(最近ちょっとこちらの様子を伺いながら泣くようになってきたけど。ズルいですねw)

 

 

成長するにつれ人間は自我を形成していきます

それは自分と他を区別するうえで大切なことではありますが、

学校では分離意識がどうたらこうたらってことまでは教えてくれませんので、

 

「あいつはほんとに凄いなあ‥。イイよね、才能があるやつは」

 

という感じでどんどん自と他に壁を作っていってしまいます

 

そこまで自虐的でなくても、なんとなく無意識に壁を作ってしまうことは多いはず

 

しかし、

 

誰かにできてあなたにできないことなんて、なにひとつとしてありません

 

 

これは原則です

よく覚えてくださいね?

 

これを身体でわかっているかどうかで、

 

あなたが頭のなかで描くことができるイメージの幅が、

大きく変わります

 

そこが違うとなにが違うのかって?

 

 

 

人間は、自分が思っているような人間になるということですよ

あなたが不可能だと思っているものには、決してなれないということです

 

ではその逆は‥?

もう、おわかりですね

 

 

 

 

イチローが好きなこと、あなたが好きなこと

 

続きまして、〝好きこそものの上手なれ〟について解説してみましょう

 

これに関しては、僕もすごく最近まで理解しきっていなかったところがあります

 

 

たとえば、

「なんでも自分ひとりでやろうとするな」

 

は社会人経験のある人ならば一度は聞いたことある言葉でしょう

そこから、仕事を振ることで自分ひとりで抱え込むよりずっと生産的だということを学んだりするわけです

 

 

そこから一歩踏み込んで、

「お前よりもそれを得意な人に任せてしまいなさい。お前がむりやりそれをやろうとすることで、それが得意な人が活躍する機会を奪ってしまっているかもしれない」

 

ぐらいのこと言ってくれた人がいるとしましょう

 

僕はこのへんがよく理解できていませんでした

 

たとえば僕は家事をそんなにしたくはないので、

奥さんに任せるとしますw

 

でもいまのとこ主婦なので割合としては多いとしても、

別に奥さんだって家事のすべてがものすごく好きってわけじゃない

 

じゃあ誰がやれば良いの‥??

 

みたいなね

 

まあ最終的にはお手伝いさんを雇うというのが、

雇用も生み出すし僕ら夫婦も自分のやりたいことだけに集中できるしベストなんですが、

ちょっとそれはまだ現実的な話じゃない

 

 

じゃあ得意なことを人に任せるってどういうこと‥?

 

 

 

そんなある日、お風呂に入っていて突然理解しましたw

(奥さんいわく、僕はトイレから出てきたときと風呂からあがってきたときに突然語りだすことが多いそうです)

 

 

僕は聖書に興味があります

聖書は世界でいちばん読まれているベストセラーであり、

そこには理論的な説明はありませんが、

古代の人たちが感覚的に気づいていた、

 

どの世代にも通用する叡智

 

が山ほど詰まっているからです

 

ただの信者のための教科書ではないからです

 

 

ところが僕は、あの細っかい字を読み続ける自信がありません

たぶん途中で投げ出しますw

 

 

 

しかし僕の知っている人で、もともとミッション系の学校に通っていて、

当時はあまり聖書に興味を持てなかったけど、

いまになってもう一度探求してみたい!という人がいました

そしてその人は情熱をもって聖書を読み進め(たぶんね)、

わかりやすくblog内で論理的にその叡智を解説してくれました

 

わかりますか?

 

より情熱を持てる人に任せればいい

 

ということです

そのとき僕はストンと腑に落ちました

 

自分が勉強したいことをすべてイチからやっていたのではとてもではありませんが時間が足りません

とんでもない遠回りをすることになります

 

なので、まあそれでもイチからやりたいぜ!ってことはきっとあなたが情熱を持てることなのでそれでいいのですが、

興味と必要は感じるけどどうも取りかかれない‥みたいなことはそれに情熱を持てる人に任せればいいのです

 

そこに関しては、その人が噛み砕いて発信してくれている二次情報で十分だ、

ということです

 

 

 

たとえばひとつ前の項で

 

誰かにできてあなたにできないことはない

 

と言いましたが、

現実的に僕がイチローほどのトレーニングを積んであそこまで活躍することは難しいでしょう

それは不可能なことではありませんが、僕には難しいことです

 

逆に、僕はわりと他の人が難しいくらいの量の文章を書き続けていて、

これまで何千冊という本を読みました

 

それは誰にとっても不可能なことではありません

だけど、誰にでもできることではないでしょう?

でも僕には全然苦ではないんです

 

 

ちょっと補足すれば、イチローほどの量はこなせなくても、

日常的に運動することは大切です

そして、尋常じゃない量をこなせなくても、本を読むことはとても大切です

月に数冊とか、その程度でも

(実際僕も最近はそんなもんです)

 

 

けれども人には確実に適正不適正がある

 

好きなことをやることが自分にとってどのくらい大事か

苦しいことを我慢して続けることと、情熱をもって取り組める好きなことをやり続けること、

どちらがより世の中のためになるのか

 

ここまできたらもうわかるでしょう?

 

 

僕は〝才能〟という言葉があまり好きではありません

その言葉のせいにして、逃げ出す人があまりにも多いからです

 

才能は育てていくもの。初めから花開いているものではない

そうも思っています

 

けれど、そういった適正という意味で言えば、才能というものはたしかに存在するのかもしれません

 

得意なことと、好きなこともまた違うということです

 

僕は仕事としては事務仕事は得意なほうですが、

プライベートではからきし嫌いですw

もうほんとにだらしなくて払えるのに溜めちゃったりするし、

これくらいできればやりたくないこともありません

 

なので秘書が欲しくてたまらないし、確実にそれは実現させます

 

 

雇われ仕事にしても、得意なことではなく、好きなことにどれだけ近づけていくかが、

やはり大切なんですね

 

「理想はそうかもしれないけど‥」

 

というのは、まだ理解していないレベルです

理解したら、そうしないわけがないからです

 

僕も素敵な職場を探しているわけではないのでいまの職場に多少の不満を持ちながらも働き続けていますが、

そういう意味ではそのへん理解しきっていないのかもしれないですね!

チャレンジしている面とかもあるので、一概には言えないですが

 

 

 

 

今日のお話は、自分と他者(とくに憧れている人とかに)壁をつくらないこと

 

好きこそものの上手なれ、の本当の意味(身体の芯からの理解)

 

でした

 

 

 

 

 

いつものように、blog作成中に聴いてたり聴いてなかったりした音源を貼っておきます

 

 

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したっけ!