がっつこぽるたっかの人生

あなたの、わたしの人生を100%現実化していくproject

俺たちにもできる!!好きこそものの上手なれの本当の意味

毎日毎日快便で困っちゃう♪♪

 

便秘気味の奥さんに横目で睨まれている

guts koporu takkaです

 

 

 

俺たちにもできた体験

 

ではタイトルに沿ってお話を進めてみましょうか

 

〝俺たちにもできる〟

 

という部分ですが、

まずは個人的に印象的だった〝俺たちにもできる〟体験から

 

 

僕は学生時代、特に好んでrock musicを聴いていました

音のfeelingに惹かれたのももちろんですが、

アーティストたちの生き方や背景に惹かれた部分も大きいですね

 

なので、ギターマガジンとかの楽器系の雑誌より、

ロッキンオンとかクロスビートとかを好んで読んでいました

 

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はい、こういう感じですね

 

 

熱心にインタビューとかも読んでいました

ときには自分を重ねながら

ときには憧れを抱きながら

 

 

しかし、後者の〝憧れ〟の部分がちょっとクセ者

特に20代前半なんて、

高校生くらいから引きずっていた

 

よくわからない無敵感

 

がだんだんと薄れてきて、逆に自分は何ものでもない感が勝ってくる感じのタイミングです

憧れゆえに誌面のなかの(自分にとっての)ヒーロー達を、

どんどん自分から切り離してしまう

雲の上へと追いやってしまうんですね

 

 

大学を出てなんとなくトントン拍子で受かった会社に就職し、

人生終わっちまう感が凄かった俺は、

(ものすごい勘違いなんだけどw)

 

自分は本当はどうしたいのか、ふらふらになりながら考えました

考えざるをえなかったのです

 

だって毎日が、びっくりするくらい楽しくないものになってしまったから

 

 

詳しい経緯はここでは割愛しますが、学生時代からの親友に

「一緒に音楽をやろう」

 

と声をかけました

そいつも気持ちは同じだったようですが、お互いに煮え切らないまま時間が経っていきました

 

そんなある日

 

そいつが自分でコンピュータを使って創った音源を持ってきたんですね

聴いてみてほしいと

 

僕は相変わらず曲を自作したりはしていませんでしたし、

活動と言ってもたいしたことはしていませんでしたが、

 

rock musicの枠はとっくに飛び出して、

古今東西盆踊りから効果音、果ては音を切り貼りしたコラージュ音楽まで

 

とにかくいろんな音を聴いて浴びていた時期だったので、

耳にだけは自信がありました

 

なので正直そいつが持ってきた音に期待はしていませんでした

期待はしていなかったけども、その行為が嬉しかった、

という感じでした

 

 

ところが‥

聴いてド胆を抜かれました

それはある意味予想通り荒削りな、そのままどうにかなるような感じではないバンドサウンドでしたが、

いちばん必要なものがガンガンに封じ込まれていた

 

rockだろうがsoulだろうがhip hopだろうが関係ない、

いちばん大事な〝魂〟がそこには溢れていました

 

その瞬間、比喩ではなくリアルに、

 

バリーン!!!

 

という音がして、僕のなかの大きな壁が崩れていったのです

 

誌面のなかの、雲の上のヒーローたちが、地上に降りてきた

できる、俺たちにもできる!

 

その後はいろいろあり過ぎて、

(前回のエントリとかを読んでもらえれば察していただけるかと思いますが‥w)

 

そのへんの直接的な進展はありませんが、

〝俺たちにもできる〟の僕にとっての原体験はそんなところです

 

 

 

 

なぜ俺たちにもできるのか

 

こういう体験はそれ以来カタチを変えて何度も起こりましたが、

 

この奥にある原理を知っていればもっと楽です

 

 

 

そもそも、壁を感じる必要などまったくないのです

 

 

壁を感じている状態のことを

 

分離意識が働いている状態

 

とあらわすことができますが、

これは生まれたばかりの赤ん坊にはありません

 

うちにはいまちょうど生後4ヶ月のbabyがおりますが、

彼女にはまだ自我と呼べるほどのものはありません

 

世界と彼女を隔てるものは特になく、

時間の概念さえありません

(最近ちょっとこちらの様子を伺いながら泣くようになってきたけど。ズルいですねw)

 

 

成長するにつれ人間は自我を形成していきます

それは自分と他を区別するうえで大切なことではありますが、

学校では分離意識がどうたらこうたらってことまでは教えてくれませんので、

 

「あいつはほんとに凄いなあ‥。イイよね、才能があるやつは」

 

という感じでどんどん自と他に壁を作っていってしまいます

 

そこまで自虐的でなくても、なんとなく無意識に壁を作ってしまうことは多いはず

 

しかし、

 

誰かにできてあなたにできないことなんて、なにひとつとしてありません

 

 

これは原則です

よく覚えてくださいね?

 

これを身体でわかっているかどうかで、

 

あなたが頭のなかで描くことができるイメージの幅が、

大きく変わります

 

そこが違うとなにが違うのかって?

 

 

 

人間は、自分が思っているような人間になるということですよ

あなたが不可能だと思っているものには、決してなれないということです

 

ではその逆は‥?

もう、おわかりですね

 

 

 

 

イチローが好きなこと、あなたが好きなこと

 

続きまして、〝好きこそものの上手なれ〟について解説してみましょう

 

これに関しては、僕もすごく最近まで理解しきっていなかったところがあります

 

 

たとえば、

「なんでも自分ひとりでやろうとするな」

 

は社会人経験のある人ならば一度は聞いたことある言葉でしょう

そこから、仕事を振ることで自分ひとりで抱え込むよりずっと生産的だということを学んだりするわけです

 

 

そこから一歩踏み込んで、

「お前よりもそれを得意な人に任せてしまいなさい。お前がむりやりそれをやろうとすることで、それが得意な人が活躍する機会を奪ってしまっているかもしれない」

 

ぐらいのこと言ってくれた人がいるとしましょう

 

僕はこのへんがよく理解できていませんでした

 

たとえば僕は家事をそんなにしたくはないので、

奥さんに任せるとしますw

 

でもいまのとこ主婦なので割合としては多いとしても、

別に奥さんだって家事のすべてがものすごく好きってわけじゃない

 

じゃあ誰がやれば良いの‥??

 

みたいなね

 

まあ最終的にはお手伝いさんを雇うというのが、

雇用も生み出すし僕ら夫婦も自分のやりたいことだけに集中できるしベストなんですが、

ちょっとそれはまだ現実的な話じゃない

 

 

じゃあ得意なことを人に任せるってどういうこと‥?

 

 

 

そんなある日、お風呂に入っていて突然理解しましたw

(奥さんいわく、僕はトイレから出てきたときと風呂からあがってきたときに突然語りだすことが多いそうです)

 

 

僕は聖書に興味があります

聖書は世界でいちばん読まれているベストセラーであり、

そこには理論的な説明はありませんが、

古代の人たちが感覚的に気づいていた、

 

どの世代にも通用する叡智

 

が山ほど詰まっているからです

 

ただの信者のための教科書ではないからです

 

 

ところが僕は、あの細っかい字を読み続ける自信がありません

たぶん途中で投げ出しますw

 

 

 

しかし僕の知っている人で、もともとミッション系の学校に通っていて、

当時はあまり聖書に興味を持てなかったけど、

いまになってもう一度探求してみたい!という人がいました

そしてその人は情熱をもって聖書を読み進め(たぶんね)、

わかりやすくblog内で論理的にその叡智を解説してくれました

 

わかりますか?

 

より情熱を持てる人に任せればいい

 

ということです

そのとき僕はストンと腑に落ちました

 

自分が勉強したいことをすべてイチからやっていたのではとてもではありませんが時間が足りません

とんでもない遠回りをすることになります

 

なので、まあそれでもイチからやりたいぜ!ってことはきっとあなたが情熱を持てることなのでそれでいいのですが、

興味と必要は感じるけどどうも取りかかれない‥みたいなことはそれに情熱を持てる人に任せればいいのです

 

そこに関しては、その人が噛み砕いて発信してくれている二次情報で十分だ、

ということです

 

 

 

たとえばひとつ前の項で

 

誰かにできてあなたにできないことはない

 

と言いましたが、

現実的に僕がイチローほどのトレーニングを積んであそこまで活躍することは難しいでしょう

それは不可能なことではありませんが、僕には難しいことです

 

逆に、僕はわりと他の人が難しいくらいの量の文章を書き続けていて、

これまで何千冊という本を読みました

 

それは誰にとっても不可能なことではありません

だけど、誰にでもできることではないでしょう?

でも僕には全然苦ではないんです

 

 

ちょっと補足すれば、イチローほどの量はこなせなくても、

日常的に運動することは大切です

そして、尋常じゃない量をこなせなくても、本を読むことはとても大切です

月に数冊とか、その程度でも

(実際僕も最近はそんなもんです)

 

 

けれども人には確実に適正不適正がある

 

好きなことをやることが自分にとってどのくらい大事か

苦しいことを我慢して続けることと、情熱をもって取り組める好きなことをやり続けること、

どちらがより世の中のためになるのか

 

ここまできたらもうわかるでしょう?

 

 

僕は〝才能〟という言葉があまり好きではありません

その言葉のせいにして、逃げ出す人があまりにも多いからです

 

才能は育てていくもの。初めから花開いているものではない

そうも思っています

 

けれど、そういった適正という意味で言えば、才能というものはたしかに存在するのかもしれません

 

得意なことと、好きなこともまた違うということです

 

僕は仕事としては事務仕事は得意なほうですが、

プライベートではからきし嫌いですw

もうほんとにだらしなくて払えるのに溜めちゃったりするし、

これくらいできればやりたくないこともありません

 

なので秘書が欲しくてたまらないし、確実にそれは実現させます

 

 

雇われ仕事にしても、得意なことではなく、好きなことにどれだけ近づけていくかが、

やはり大切なんですね

 

「理想はそうかもしれないけど‥」

 

というのは、まだ理解していないレベルです

理解したら、そうしないわけがないからです

 

僕も素敵な職場を探しているわけではないのでいまの職場に多少の不満を持ちながらも働き続けていますが、

そういう意味ではそのへん理解しきっていないのかもしれないですね!

チャレンジしている面とかもあるので、一概には言えないですが

 

 

 

 

今日のお話は、自分と他者(とくに憧れている人とかに)壁をつくらないこと

 

好きこそものの上手なれ、の本当の意味(身体の芯からの理解)

 

でした

 

 

 

 

 

いつものように、blog作成中に聴いてたり聴いてなかったりした音源を貼っておきます

 

 

www.youtube.com

 

 

www.youtube.com

 

 

www.youtube.com

 

 

www.youtube.com

 

 

www.youtube.com

 

 

したっけ!

ひとつの方向、ひとつの瞬間からは、彼を彼女を知りえない

夜のお菓子、うなぎパイ

 

夜の男、guts koporu takka

 

うなぎパイくらい夜の代名詞になるにはどうしたらいいんだろう

そんなことを考えたり考えなかったり

 

guts koporu takkaです

 

 

今回は、久々に本からのお話です

と言っても全blogのようにワンセクションを丸まる引用したり、

というようなやり方は基本しないことにしようと思います

 

それだと、やっぱり〝guts koporu takkaのblog〟にはなりづらいですからね

抑えようにもなにかが滲みでてしまう男guts koporu takkaですので、

まったく無個性になってしまうということもないのですが、

とにかくそういうふうに意識してみようかな、

と思った次第でございます

 

 

 

看板決めました

 

あ、guts koporu takkaのblogと言えば気づきました?

ついにタイトル決めたんですyo!

 

超が付くほどマイペースな男なのでいつまでもズルズル決まらない可能性もありましたが、

進めば進むほどはてなブログが勝手に決めた

 

guts-koporu-takka's diaryとやらで記憶されてしまうのでね‥w

 

 

俺のblogタイトルの変遷を追ってみると、

 

『flying frog』

 

『月と六ペンス』

 

ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで』

 

とまあ‥

我ながらセンスが良いので‥

(異論とかは受けつけませんよ?w)

 

と言うかほんとにネーミングセンスはあるほうなので、

ひねったかっちょいいタイトルを付けようと思えばいくらでも浮かんだんだけど、

それもなにか違う気がした

 

また、〝人生のすべてを体現していく〟というblogコンセプトから考えて、

 

『life of guts koporu takka

 

なんて横文字にしてみたら‥

絶対埋もれるやん!

その他大勢やん!!

って感じがすごかったので、やめましたw

 

カッコつけ過ぎず、わが輩のセンスを発揮するタイトルを考えた結果、

 

がっつこぽるたっかの人生

 

てのが良いんじゃないかな、と思いました

 

俺が追っかけてる堀江貴文さんの

ホリエモンドットコム|堀江貴文

 

ちきりんさんの

Chikirinの日記

 

なんかも名前入ってるし、いいんじゃないかなあ、と

ホリエモンはともかくとしてちきりんさんに関しては有名だから名前を冠したってわけではないだろうしね

 

 

とまあ、そういう経緯でこの名前に決定しました

良い感じにダサゆるだと思いますw

 

 

 

いつも丁寧に。松浦弥太郎さん

 

さあ、このままだと全然予定してたことを書かないまま終わりそうなので、

(実はそれでもいいかなと途中で思ってた)

 

本の話をしましょうか

 

今回、と言うよりこれからしばらく題材として扱わせてもらおうと思っている本ですね

 

松浦弥太郎さんの『100の基本』です

 

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弥太郎さんは素敵な人ですよ。素敵男子です

 

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僕が義兄と慕っている人が、

「人の眼はその人の魂を映す鏡だ」

 

と言っていましたが、

弥太郎さんの眼を観ていると、

なんだかとてもやりきれない、哀しい、

でも暖かい気持ちになります

 

清潔な雰囲気ややわらかい語り口から、

一部毛嫌いするような人がいるのもわからないでもないですが、

 

そういった人は人の一面だけ見て決めつけたり、

もしくは一面しか見ることのできない人なのかなあ、と思います

 

別に僕は弥太郎さんのなにを知ってるわけでもないですが、

少し触れただけでも彼の歴史の深さは感じ取ることができます

 

すべてから逃げ出したくて、海外での生活を始めたこと

でもあまりにもコミュニケーションが取れないことに疲れ、

どうしたらより良くなるのか、を毎日考え続けたこと

 

そしていろんな国や町を歩いたこと

(その町その場所でひとつずつtattooを入れたらしいです。この時点で既にイメージと違うでしょう?)

 

そして貸し人夫として、公園から拾われて労働をしに行く生活

 

 

そういう道をたどったうえでああいう雰囲気、物腰なんだということを知って彼を批判している人はどれだけいるんだろうか

たぶんいないんじゃないかな?

 

知らない人ほどよく人を批判するというのも、また真実なのかもしれませんね

ある意味気楽なものです

絶対的に安全な場所から、人を批判するというのは

 

自分はいっさい傷を負わずに人を貶めて自分を浮上させる

 

そういう人がたどり着ける場所は、きっととても限定的なところなんじゃないかなあ

 

 

 

さて、もう少し書こうかと思ってたけど、なんか今日は書くこと書ききった感が(勝手に)あるので、

このへんにしておこうかな

 

最後に、いま書きながら聴いている曲を貼っておきます

www.youtube.com

 

 

www.youtube.com

 

 

www.youtube.com

 

 

したっけ!

〝洗脳〟と〝愛の告白〟を科学する

結婚して1児の父となっても気分は童貞、

guts koporu takkaです

 

童貞の味方、guts koporu takkaです

 

 

さて、俺はいま週に1本映画を観るようにしてるのですが、

(そのへんの経緯はまた別の機会に)

 

久々に邦画が観たいなあと思い、ノートにメモってあった映画

森山未來主演の

 

モテキ

 

を観たんですね

(なぜメモってあったかと言うと、知人に借りて読んだ原作の漫画がとてもおもしろかったから)

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こみっちゃん(こみつ。娘、4ヶ月)が早めに寝てくれたので、

夫婦で童貞に戻りながら楽しく鑑賞していました

 

本題とは違うので軽めに映画のレビューをしておくと、

(内容に触れますので注意)

 

たとえば主人公に振られて潔く諦められなくて号泣しながら追いかけてくる女性がいて、

 

「なにをやめれば振り向いてくれるの~??」とか、

 

「あなたに全部合わせるから~!」

 

みたいなことを号泣しながらさらに畳みかけますw

 

まだ見た目が麻生久美子だから見れたもんですが、

実際にやられたら(もしくはやったら)ドン引きを通り越して恐怖だと思います

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(問題のシーン。号泣しながら走り出す直前)

 

だけど、まあ映画内のキャラクターとして極端に、

〝ひとりの人間のなかに〟そういう要素を集中させているんだろうけど、

 

人間であればそういう要素は誰にだってあるよなあ、

というのが観て思ったこと

 

引き際を間違えて、見苦しくなってしまったり

(これは一回間違えたくらいじゃ学習しきれないから厄介w)

 

惨めだとわかっていても無理やり相手に合わせてすがってしまったり

 

それこそストーカーぐらいまでいったって、

「そんな部分わたしにはないわ。一緒にしないでちょうだい!」

 

なんて言い切れる人はいないんじゃないかと思います

もしいたら、そういう人とは友人としても親しくはおつきあいしたくないですね

 

自分の中の闇を認めていない人というのは本当にこわい

〝なにかあったとき〟には平気な顔で他人に正義の鉄槌をくだし、

なおかつ〝仲間〟を募って叩き潰しにかかる

 

傍に置いておくとある意味いつもドキドキする存在ですねw

 

 

話が少し逸れましたが、他のキャラクターにしてもそれは一緒

それを考えたら〝キャラ〟とかって言葉は、

まあ個性とも言うか、

なにかの一部分が突出している状態を指しているんだろうけど、

それぞれの要素はすべての人に存在するし、

どの部分がより濃く出て来るかはタイミングや年齢、

置かれた場所によって変わるのだから、

 

そういう意味ではあまり〝個性〟なんてものを意識しても意味がないような気もしますね

「あら、わたしは最近こんな感じなのね?」

 

くらいにとらえておいたほうが、

無意味に自分を限定することもなくて良いのではないかな、

と思います

 

「わたしってこんな人」

 

というのは冷静に言えば〝過去のパターンの集積〟でしかないわけだから、

そこにこだわっちゃうとマイナスに作用することも多いですよってことです

 

〝いままでのあなた〟は

〝これからのあなた〟に、

そういった意味では関係はないのです

 

自分の過去のパターンにあるとかないとか、

そんなことはまったく気にせずに挑戦しましょう

 

 

 

WHAT'S 洗脳

 

今回の本筋ではないので映画のレビューはこれくらいにしておきましょう

 

皆さんは、〝洗脳〟と聞いたらなにを思い浮かべますでしょうか

 

新興宗教だったり、

闇が深い犯罪だったり、

 

いずれにせよあまりパッとプラスのイメージに繋がる人は少ないと思います

 

しかし、多くのマイナスイメージで捉えられている言葉と同じように、

それこそ育ってきた環境や時代によって言葉のイメージなんてものはいくらでも変わるものです

 

たとえば昔から紛争などはあっただろうし、

実際の信者たちの実態とはまったくイコールではないはずですが、

あなたは

 

イスラム

 

という言葉に、いまほどのマイナスイメージを持っていましたか?

おそらく自然とマイナスイメージを持ってしまう人が多いんじゃないかなという前提で話していますが、

イスラムという言葉にマイナスのイメージを膨らませるようになったのは、

どれだけ遡ってもここ数年のことではないでしょうか

 

いえ、正確に言えば9.11のテロなどいくらでも出てはきますが、

わたしたち日本人が〝それなりに激しく〟マイナスのイメージを持ち始めたのは、

きっとイスラム国の登場を境にしてるんじゃないかなあと思います

自国の人間が処刑される動画が公開されるなど、

ネガティブを通り越して肌感覚で嫌悪してしまっても無理ないこともありましたからね

 

 

話を戻すと、言葉にこめられたイメージや背景なんてものは人によっても全然違うし、

なにかを機にいとも簡単に変わったりするものです

 

逆に言えば、多くの人が一般的にマイナスのイメージを持っているような言葉でも自分の捉え方次第でプラスのイメージを持つことは難しくない、ってことです

 

 

〝洗脳〟という言葉に関しても、

言葉それ自体が持っている力は決してマイナスなものではありません

マイナスにしてたらもったいないくらいのパワーを秘めた言葉です

 

たとえば、テレビや新聞を無意識に垂れ流すように見たり読んだりするのをやめて、

あなたが〝こうなりたい〟と思う人が発信する情報を取りに行く

 

そして継続的にblogやメルマガを〝浴び続ける〟

これも言ってしまえば洗脳です

 

自ら能動的に施す、または施されるのであれば、

それは自分の現実を変えるための強烈な追い風になるということです

 

頭の中身が書き換われば、見える世界はまったく別なものになるわけですからね

 

 

 

 いつもの?やつ

逆に、今度は〝無意識に〟施されている可能性のある洗脳のお話です

 

それはさっきちらっと出てきたように、

テレビや新聞など一般的な家庭なら身近にあるようなメディアから受けやすい傾向があります

政府がメディア操作をしてどうのこうの‥というような大きな話までいかなくても、

わたしたちが〝常識〟としていつの間にか共有しているもの、

 

を刷り込まれている可能性は大きいですね

大きいというか、実際多々あるでしょう

 

 

ここでやっとタイトルのお話になりますがw、

皆さんは

 

愛の告白

 

というものをしたことがありますか?

 

「あなたのことがずっと好きでした‥」とか、

 

「アナタノコトガ、スキ、ダカラ!(チャン・ドンゴン)」とか、

 

「ずっと好きだったんだぜ♪(斉藤和義)」

 

とかいうあれです

 

恋に恋するお年頃であれば、恋愛におけるG1レースのような一大イベントかもしれませんね

告白なくして恋にあらず!!みたいな

 

また、ある程度歳を重ねても、

場合によってはおじいちゃんおばあちゃんになっても、

演出や状況によっては素敵な愛の告白は成り立つかもしれません

 

そう、それは〝状況〟や〝前提〟によっては成り立つ

という性質のものなのです

前提とは、そこまでの関係性のことね

 

けして愛の告白自体を否定するものではありませんが、

それなしじゃ恋愛は成り立たない、というものではない

 

むしろ愛の告白を大前提として捉えてしまうと、

うまくいかないことが圧倒的に多いのではないかと思います

 

 

冷静に考えてください

たとえばさっき書いた〝前提条件が整っている〟場合

お互いにもうどうしようもないくらいに両思いだったりする場合は、

愛の告白はうまく機能する可能性が高いでしょう

 

むしろ、そういうのがないとなんだか不安、

という人もいるかもしれません

(僕もそんなとこあったので、しばらくしてからわざわざ関係を確認したりもしましたw)

 

だけどよく考えてみてください

いや、むしろ考えないで感じてみてください

 

〝愛の告白〟をゴールとして楽しんでるならともかく、

せっかく良い関係性なのに、

突然

 

「あなたのことが大好きです!お付き合いしてください!」

 

なんて言われたら、心のどこかで引いてしまいませんか?

もしくは一気に重たくなりませんか?

 

たとえ、お互いに好意があったとしてもです

 

 

 

機械じゃないので常に50対50でお互いが想い合ってるなんて関係はありえませんし、

特に告白された側が割合30とかだった場合は最悪ですw

一気に15くらいまで気持ちは減退するのではないでしょうか

 

それは愛の告白という行為が、相手を囲い込む行為だからです

逃げ道を奪ってしまうのです

 

 

とりあえず結婚ならいざしらず、これからお付き合いがスタートするかもしれないという段階で、

逃げ道を塞がれたらイヤですよね?w

それは男も女もおんなじです

 

〝交際中です〟という札をぶら下げずに、相手がどんな人間なんだか観察したいという気持ちがあっても、

〝確定〟させてしまうことで逃げ道がなくなる

あなたのことは嫌いではないけれど、そうくるのであればちょっと今回は‥

となってしまうわけです

(まあ世の中には僕のように尻が軽い男や女がいるので、うまくそのへんを利用してかわすことも考えられるので要注意ですが!)

 

 

 

つまり、多くの場合〝愛の告白〟というものは

 

コミュニケーションの手段

 

として破綻しているわけです

 

もちろん先述したように必ずしもってわけではないし、

演出によってはそれが最高に機能することもある

 

けれど多くの人が、当たり前のように

〝別にやらなくてもいいこと〟

 

もしくは

〝やらないほうがいいこと〟

 

をまるで義務のようにやってるわけです

不思議じゃないですか??

 

 

 

さあ、それはどこに端を発しているのか

 

いつものようにテレビや新聞!と言いたいところですがこれに関してはマンガでも映画でもなんでも当てはまるでしょうね

 

交際関係のスタートと言えば、愛の告白!

 

みたいなイメージをすり込んだ戦犯を特定することはなかなか難しいでしょう

また、ある時代にはもっと機能していたのかもしれないし、

(婚前交渉がタブーな時代とかね)

 

いまでも「告白がないなんてイヤ!」って人もいるかもしれません

そこまでいかなくてもなんか気持ち悪いなあって人はきっと多いでしょう

 

 

けど、〝それ〟をいまだに過去のものにせず継続させているのは、

現場経験がそんなにない類のクリエイターさんとかが多いんじゃないかなあ、

と思います

 

つまりは妄想の産物ってことです

僕はプレイボーイでもなんでもないですが、

そこそこ恋愛をした経験があれば、愛の告白なんてものが多くの場合余計でしかない、

ってことは感覚として理解するはずですが、

 

想像(というより妄想)だけでものを創ってしまうと、

現実とはかけ離れたものができあがってしまい、

 

しかも今回のケースはわりと〝常識として〟定着してしまっているものだと思うので、

なかなか疑われることもない

ってことですね

 

 

 

 

というわけで、わりとよく

 

〝普通に生きているだけで施されている洗脳〟

 

的な話をしていますが、それこそ普通に生きているだけだとそう言われてもなにか特殊な話というか、

身近なこととして感じづらいのではないかな、

と思ったのでこういう例を出してみました

ちょうどモテキ観たとこだったので

 

いつもよりは、ちょっと身近なことに感じたでしょう?

 

まあ、僕のblogにたどり着いている時点で、

普通に生きてきただけの人なのかはあやしいですがw

 

 

 

最後に、映画内のliveイベントシーンで素晴らしいパフォーマンスをしていた

 

女王蜂

 

の動画を貼っておきます

これ、劇中ではさらにキレッキレなので、興味が湧いた人はそのためだけに観る価値があると思いますよ

www.youtube.com

 

 

 

でもこの映画、また忘れたころに観たいなあ

ドラマ版もあるらしいから、そのうちそれ観終わったらまた観ようかな

 

したっけ!

大変お待たせいたしました、guts koporu takkaです!

旧blog、

 

ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

 

を読んでくださっていた皆さん、

そして初めましての皆さん、こんばんは

 

あなたの、わたしのguts koporu takkaです

 

blogを移行すると言いながらかなりの時間が経ってしまいましたが、

無事に戻って参りました

 

そうです、わたしがguts koporu takkaです

 

可愛いこみちゅのお父さん、guts koporu takkaです

 

 

 

 

blogを移行した理由は多々ありますが、ここでは長くなるのでやめておきましょう

 

前blogでは書籍紹介というカタチで記事を書いていましたが、

(実際にはほとんど書籍の紹介はしてなかったけどw)

 

今回のblogのコンセプトは

 

〝人生のすべてを体現するblog〟です

 

 

僕がいつも学ばせていただいているとある方がblogのなかで、

自身のミッションステートメントについて書かれていました

 

ミッションステートメントというのはまあ、

 

自身が使命として課すもの

 

と言いますか、

 

自分の人生として発見したもの

 

と言いますか、まあ定義はここではいいんですが、

その方が言っていたのは、

『最初はかなり多くのものを設定していたけど、

突き詰めていったらけっきょく3つくらいになった』

 

ということです

 

大枠で捉えて、あまり細かく意識し過ぎることに意味を感じなくなった、

という感じだったかな

 

それを読んでいて僕が辿り着いたのは、

 

「それを言ったら、俺が実現したいのは‥俺の人生のすべてだな!!」

 

ということでした

 

それこそ、何が欲しいとか、どうなりたいとか‥

 

極端な話いまのこの考えを真逆に否定することになったって‥

 

それらをすべて実現したい

実現させてやりたい

いや、実現するのだ!!

 

ということでした

いちばんそれがsimpleなんじゃない?と思って

 

まあその人のようにいろんなものを絞り込んでいってひとつになったわけではないから、

ちょっと意味合いは違うかもしれない

 

だけど〝考える〟ことに関してはふだんから考え過ぎなくらい考えてるのでw、

そう思うならそれが良いんじゃない?

ということになったわけです

 

 

 

ですので、このblogに関してはとくにジャンルを限定しません

 

僕が僕として自然に必要を感じたものを、すべて取り扱います

 

前blogを読んでいた方ならご存じかと思いますが、

僕はネットビジネスのお勉強中です

 

なのでそういった意味で言えばジャンルやターゲットを絞って書くのがセオリーなのかもしれませんが、

とりあえずそれでは

 

僕が楽しくない

 

ので、このカタチでやってみますw

 

 

 

ということで、今回はごあいさつ代わりですのでこのへんにしておきましょう

 

あ、このblogは前回のblogの最初のように

 

「なにがなんでも3ヵ月書き続ける‥!!」とか、

 

「必ず週に一度は書きます!」とかは全然考えていません

 

気ままに書きます

 

まあ、定期で書いていたほうが読者の方もチェックしやすいのは承知していますし、

親切なのかもしれません

そういうふうに書くときもあるかもしれませんが、基本のスタンスは

 

気まま

 

でいこうと思っています

 

 

 

 

とりあえず書き出そう!と始めたので、

まだタイトルすら決まっていない当blogですが、

どうか皆さん、暖かく見守っていただけたら幸いでございます♪♪

 

したっけ!(北海道の言葉で、〝じゃあね!〟という意味)

 

 

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